境内散策

       

境内エリア

間々田八幡宮 本殿

権現造柿葺の本殿。江戸時代 享和年間に失火により焼失。その約50年後の嘉永四年(1851年)に再建され現在の姿となりました。社殿の内外に、当時日光東照宮の改修を手がけた職人達による見事な彫刻が見られます。
主祭神の誉田別命(ほんだわけのみこと)は第15代応神天皇で、勝負必勝、出世開運、厄除け・方位除けの御利益があり、ご神威あらたかな鎮守の神「八幡さま」としても広く信仰されています。
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)は応神天皇の母・神功皇后で、子授け、安産、子育て、学業成就などに大変ご利益があります。
また、近年になり本殿の床に白い蛇の姿が浮き出し、以来、宝くじ当選等、金運の御利益でも知られるようになりました。

間々田八幡宮 拝殿

本殿とともに江戸時代 享和年間に焼失。嘉永四年(1851年)に再建されました。本殿同様、拝殿の周囲には当時の職人達による見事な彫刻が見られます。
またこの拝殿は、以前は今よりも本殿から離れた場所にありましたが、昭和40年代に本殿寄りに移動され、かつて本殿と拝殿の間の「石の間」だった場所に屋根と床が新たに設けられ、より多くの方が昇殿できる新たな拝殿へと改修されました。
後ほどご紹介するユニークな狛犬も、かつては本殿に最も近いこの石の間に配置されていたものです。

合社殿

明治40年3月に、神社の周辺にあった八龍神社、雷電神社、愛宕神社、淡島神社を合祀したのがこの合社殿。
雷電神社は火と水の力を司る神。いかなる災厄をも祓い去ります。愛宕神社は火伏せの神様。防火、防災に御神威を発揮します。淡島神社は婦人病をはじめとして安産、子授けなど女性の守護神として広く信仰を集めています。
なお八龍神社は、平成12年にジャガマイタの祭神として拝殿の西側に分祀されました。

厳島神社

地元では弁天様として親しまれる厳島神社。祭神は宗形三女神(田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命)で、八幡宮とも大変ゆかりの深い神々です。
その中の市杵嶋姫命は、インドの「弁財天」と同一視され、水の神であるとともに、音楽や芸術・美と金運の神としても信仰されています。
間々田八幡宮の弁天様は豊かな水に囲まれ、境内有数のパワースポットとなっています。

八龍神社

明治時代の「間々田村郷土史」に『八龍神社は元八幡馬場の中程より南百間あたりの畑中にありて、その創建はなはだ古くして…』との記述があります。
明治時代の区画整理により、かつて鎮座していた場所から当神社の合社殿に合祀され、後にジャガマイタの祭神として境内西側に独立分祀されました。
ジャガマイタ当日には、各町内の蛇が八龍神社で御神酒をいただいた後に、弁天池での「水呑みの儀」へと向かいます。
八龍神社のお社の中には2体の蛇(じゃ)のミニチュアが奉納されています。

御輿舎

昭和30年代なかば頃まで、間々田町の夏祭りで担がれていた神輿が保存されています。この神輿の他にも、子供神輿が合社殿に保存されています。
かつては血気盛んな町の若い衆が神主の目を盗んで神輿を担ぎ出して町で大暴れをし、町の皆は止めるどころか水をかけてはやし立てたという記録も残っています。

御神木

推定樹齢500年の杉の古木。かつては境内でもひときわ高くそびえていましたが、そのことが災いし、落雷により全体の三分の一程度が焼けて失われてしまいました。

夫婦杉

根本部分が手をつなぐようにつながっていることから「夫婦杉」として大切にされている樹齢約250年の杉の木です。ほぼ同じ太さの2本の幹がまっすぐ空に伸びる姿は大変美しく、夫婦和合や縁結びの象徴として参拝者に親しまれています。

狛犬

神社内にある4対の狛犬の中でも、参拝者から特に人気が高い、なんともユニークな顔立ちの狛犬さん。見つけたら優しく頭をなでてあげてください。何かいいことがあるかもしれません。(1856年・安政3年奉納)

手水舎

平成十年に弁天池の護岸工事完成記念として新たに作られた手水舎。この手水舎の南側には、天保13年(1842年)に奉納された旧手水舎が残されています。

土俵

秋の例大祭で奉納子供相撲大会が行われる土俵。春から夏にかけての日曜日には、市内の小学生力士達が練習で汗を流しています。かつては大相撲の地方巡業で大変賑わった土俵でもあります。
この土俵は映画のロケ地としても知られていて、周防正行監督、本木雅弘主演「シコふんじゃった。」(1992年)の夏合宿のシーンや、武内英樹監督、阿部 寛主演「テルマエ・ロマエII」(2014年)の相撲のシーンは、この土俵で撮影されました。

頼朝手植えの松

かつて藤原秀郷が平将門討伐に際して当神社に戦勝祈願をし、見事調伏したことを聞いた源頼朝は、文治五年(1189年)、自らも奥州藤原氏征討の軍を率いて当神社に参拝。戦勝を祈願して松を植えました。
この松は、後に「頼朝手植えの松」として大切に守られ巨木に成長しましたが、明治38年(1905年)に枯死してしまいました。
初代の頼朝手植えの松は、二の鳥居のほど近くにありましたが、周辺環境の変化により松の成長に適さない場所となったため、現在の3代目は場所を変え、厳島神社手前の橋のたもとに植えられています。

芭蕉句碑

「古池や 蛙飛こむ 水の音  芭蕉翁」
松尾芭蕉は、奥の細道の旅の二日目に間々田宿に宿泊しました。もちろんこの句はこの場所で読まれたものではありませんが、その見事な筆致により、多くの方が拓本を取りに来られます。
句碑裏には、『地元の名士であった田口久七は、北越遊歴中に病に倒れた際に、当八幡宮を心に浮かべて一心に祈ったところ、病たちまち癒え、無事故郷に帰ることができた。このことを後世に伝えるため、この句碑を奉納した』と書かれています。嘉永6年(1853年)奉納。

無事かえる像

芭蕉句碑の句碑裏に書かれた江戸時代の病気平癒の故事を今に伝える三度笠姿のかえる像。病気平癒や旅行安全のご利益を求め、多くの方がかえる像をさすり、願掛けの絵馬を奉納しています。
かえる像は、故事にちなみ間々田八幡宮本殿に向かって手を合わせ、絵馬に込められた願いが叶うよう祈り続けています。令和2年(2020年)建立。
『無事かえる 絵馬掛け祈願(郵送対応)』のページへ

力石

重さ二十八貫(約110Kg)の力石。大正2年に神社から持ち去られた石を、3人の力自慢が友沼宿から一度も地上に下ろさずに持ち帰ったと伝えられています。
このほか、弁天島の松の根元には三十八貫の力石があります。

社務所

御朱印や御守り・お札は、こちらでお頒かちしています。社務所にご用の方は、玄関横のインターフォンを鳴らしてください。宮司自宅が別の場所にあり、そちらにも通じています。
なお、家族のみで守っている神社ですので、外祭等で不在の場合もあります。神社においでの際には事前にお電話をいただけますと、不在時を避けておいでいただけます。

弁天池(中溜)

ジャガマイタの蛇が水呑みの儀を行う池です。カメや鯉、カモなど多くの生き物が生息し、年間を通して餌やりを楽しむ家族連れで賑わいます。
かつて間々田八幡宮には3つの池があり、この弁天池は真ん中の池であったため、今でも地元の人は「中溜(なかだめ)」と呼んでいます。
また、昭和40年代頃まではこの池は全面凍結し、スケートを楽しむ子供たちで大変賑わいました。

二の鳥居

1713年・正徳3年に建造された二の鳥居。1800年初頭に本殿・拝殿が一度焼失しているため、当神社に残る建造物としては、最も古いものの一つです。
ここから参道を南に1kmほど行った国道沿いに、一の鳥居があります。

明治天皇遙拝碑

森の中にひっそりと建つ明治天皇遙拝の碑(大正元年建立)。土台の小山は八幡古墳群の墳丘です。
かつてこの碑は、現在忠魂碑が建つ大きな墳丘の上にありましたが、昭和33年5月にこの場所に移転されました。
なお、現在明治天皇遙拝所碑が建つこの墳丘には古い参道の跡があり、また碑へと続く階段も不自然な角度に設置されているため、かつてこの場所には、何らかのお社があったと考えられています。

散策道

境内エリア・公園エリアを通じて、全域に散策路が整備されています。そぞろ歩きをしながら、四季折々に移り変わる鎮守の森の自然をお楽しみください。

林道

思川の土手まで続く静かな小径です。天気が良い日に土手まで足をのばせば、北は那須の茶臼岳、日光連山、西に赤城山、浅間山、秩父連山、丹沢山系、そして南に富士山と、壮大なパノラマを楽しめます。春に土手を黄色に染める菜の花も見事です。
この道も映画「シコふんじゃった。」の撮影で使われました。

富士嶽神社

富士山33回登拝記念として、氏子崇敬者の奉納により明治15年1月に建てられました。
となりの山神の碑は明治17年10月の建立。これらの碑が建つ小山も、八幡古墳群の墳丘です。

コナラ

市の天然記念物に指定されている3本のコナラ。推定樹齢、約170年。樹高約20m、枝張り南北20mにも及ぶ巨木であり、ここまで大きく成長したコナラは珍しいそうです。拝殿右横に案内看板があります。

忠魂碑

明治41年3月に1丁目の琴平神社近くに建立されたものを、昭和33年5月にこの地に移転。かつてはこの場所に明治天皇遙拝所碑が建っていました(現在は本殿北西の森の中に移転)。
この碑が建つ墳丘は、八幡古墳群の中でも最大級のものです。

公園エリア

遊具広場

昭和30年代頃に作られた遊具が大半を占めるレトロな雰囲気の遊具スペースです。かつてはすべり台やゴンドラ式のブランコなど、今よりも多くの遊具がありましたが、時代の流れで撤去されてしまいました。
現在、遊具を含め、公園内を再整備する計画が進められています。

ひょうたん池(上溜)

今は親水広場として埋め立てられた場所も、かつては池の一部だった時代があり、池全体のかたちがひょうたんに似ていたことから、今でもひょうたん池の愛称で親しまれています。また、神社に3つある池のうち一番上流部にあったことから「上溜(うわだめ)」とも呼ばれます。(最下流の下溜は埋め立てられ、現在駐車場になっています)
桜の季節には、池沿いにたくさんのぼんぼりが灯され、水面に映る夜桜を楽しむことができます。また、桜が散る頃には池一面を桜の花びらが覆い尽くし、儚くも美しい季節の移ろいを感じることができます。

太鼓橋

当神社には2つの太鼓橋があります。一つは弁天池にある弁天島にかかる太鼓橋。もうひとつは写真のひょうたん池上流部にかかる太鼓橋です。どちらも当神社のベストビューポイントです。
なお、弁天池にかかる太鼓橋は、かつては石造りの素朴な橋で、明治時代には観月橋の愛称で親しまれ、その名の通り月見と蛍の名所として、宵にかけて近隣から多くの遊山客が集まったそうです。

親水広場

ひょうたん池の一部を埋め立てて作られた親水広場。池の水源である滝とせせらぎがありますが、近年は整備が行き届かず、季節によっては草が生い茂り、立ち入ることが困難となっています。
この親水広場と、ひょうたん池東側の杉林を伐採・再整備して、広大な芝生とせせらぎの広場として再整備する計画が、小山市により進められています。

聖徳太子碑

大工や職人の神様として崇められる聖徳太子の碑。毎年1月に行われる太子講は、間々田地区の建設業に携わる皆様が集まり、この碑を神社拝殿から遙拝するかたちで行われます。
大正14年の建立で、建立に際しては、地元小山はもとより、栃木や野木、古河などの職人からも奉賛金が寄せられたことが、碑の背面の奉賛者氏名一覧から知ることができます。

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